ンティーとは

 

すでに述べたように、現在のような政治資金のあり方を続けるかぎり、小選挙区でも中選挙区でも比例選挙でも、金がかかることは同じである。選挙の手段としての金権選挙の是正は、選挙の区割りによってではなく、政治資金のあり方の改革によって行うべきであり、それ以外に目的を達することはできない。いずれにしても時間が経過すれば、政治改革は確実に風化する。の議論が声高に主張されて時間を空費する。

また、女学校を卒業したら花婿が決められてすぐにも結婚1そんなことをされてはたまらないという焦りもあった。々あの山の向こうへ行きたい。いや、もっと遠くへ、誰泳も知らないところへ行っていろいろなこと函を知りたい。「家」というものから逃れて自由に生きてみたいと思っていた。そんな想いがいつし講か一直線に東京へとつながっていった。東京へ出て文学の勉強をしたい、私は児童文学者になるの唾そだ、とせつないほどに夢みるようになっていた。

本書執筆中にも警察にいろいろと質問しに行ったが、「お宅は何をやっている会社か」、とか「そんなことを聞いてどうするのか」、「何でそんなことを知りたいのか」等々、当方をまるで容疑者扱いし、できるだけ情報は公開しないというその態度には唖然とした。警察の役割を正しく理解してもらおう、などという姿勢は皆無であった。お前がこっちを調べるのなら、こっちもお前のことを調べるぞ、という口調である。

この頃になると、村山政権時代に、無理やいりに政治問題化され、疑惑を掻(か)き立てた〃デマ事件〃の真相が、司法の場で次々と明るみにされていく。まず、内閣を支えた自社さ三党の明確な〃意志″が結集され、衆院予算委員会を副獄し、憲政史上に汚点を残した「白山さん名誉穀損事件」も、改めて記しておこう。平成8年月別日札幌地裁は、提造記事が『週刊新潮』による名誉穀損であることを全面的に認める。

「牡猫」ではじまって、今回の「牝(めす)猫」で終るというのも、対比の妙があって面白いと思う。コレットと猫ここに取りあげるのは、フランスの作家、シドーーー・ガブリエル・コレットの『牝猫』(工藤庸子訳岩波文庫)である。コレットは二十世紀フランス文壇の女王と呼ばれた人で、一九五四年に彼女が亡くなったとき、フランスはこの女性のためはじめての国葬をいとなんだ。そのような大家の描く、猫の姿はさすがに意味深く、猫を素材とした文学のなかでも名作中の名作と一口ってよい・本書(とうび)の悼尾を飾るにふさわしいものである。

ただ、この〃政治力″云々という一種の呪縛は(じゅばく)、この後もしぶとく生き続ける。「山崎」が、学会は、いつも政治力を駆使し、事を有利に運んでいる、というイメージの鋳型を作ったからこそ、彼と反学会勢力は、生き延びられたとも言える。なぜなら、彼らが裁判に負けたり、刑務所の住人になるたびに、ああ、また、学会は裏工作をいつちはんかいして、と単純な人々は、眉(まゆ)をひそめてくれたからである。

被害者の心の中には、事件の残像が生々しくあります。隣にいた人が亡くなってしまったり、一歩間違えれば自分も死んでいたかもしれないという恐怖感、また現在抱えている身体的なダメージをふくめて、不安心理を抱えている人は多くいます。私自身も、医者にかかったときに、このまま治らなかったらという思いがありました。また、事件のことや自分の症状、気持ちを会社の人間や家族など、まわりの人に理解してもらえずに苦しんでいる人もいます